じゃあ、「原作を持ってきた『意味』」って何なの?

 西洋骨董洋菓子店のアニメには「その原作を持ってきた『意味』」が希薄、と書いたわけですが(↓)、じゃあその「意味」って、具体的に何なのかと。
 例えば、「蟲師」。これ、原作をそのままアニメにしたタイプの作品ではちょっと他に並ぶ物が思いつかないくらい上手にやった作品だと思います。原作の良いところを最大限に強化させ、少々弱い部分も補強して、そして何よりあの独特の世界をフルカラーで完全に再現する。アニメさえ見れば原作読まなくても良いんじゃないかと、少し思ってしまったくらいです。
 例えば、「イノセンス」。押井守が描きたかったことが、この設定この世界観に落とし込まれることによってより強烈に視聴者に迫ってきます。単なる映像美を作り上げるための舞台としても最上級ですが、それだけじゃ押井監督はこの原作を取り上げなかったんじゃないかと思います。この原作を用いないと描けない、そう監督が感じたのかどうかはわかりませんが。「スカイ・クロラ」も、どうやらそういう話っぽい。
 例えば、「ぱにぽにだっしゅ」。僕はこの作品の良い視聴者ではなく、二話ほど見たあたりで視聴を止めてしまったのですが、その後多くの人から良い評判を山ほど聞いて、後悔しました。感想を見る限り、これは良い意欲作だったとは思います。好き放題やりたい放題の演出、原作無視多発のストーリー。でも、これって「ぱにぽに」以外じゃたぶん出来ません。事実、ここまでむちゃくちゃやったのは新房監督もこれだけです。「絶望先生」が多少近いですが、あれは原作そのものを遊んじゃってる感があり、「ぱにぽに」と異なる路線じゃないかと思っています。「ひだまり」などは、演出は結構気ままですがそれでもちゃんと「ひだまり」になってますね。

 投げっぱなしで終了。(えー)