なぜライトノベルにはきらら的日常系が存在しないのか。

 4コマ漫画が好きです。
 特に“きらら系”と呼ばれる、かわいい女の子たちがかわいくキャッキャウフフするかわいい日常を描いた作品群が大好きです。癒されます。

 ところで僕はここ数年ずっと不思議に思っていたことがありました。
 なぜライトノベルの“日常系”には必ず男が出てくるのだろう?
 いや、全部、というのは僕の狭い観測範囲の中でのことで、具体的にはアニメ化作品しか知りません。「僕は友達が少ない」とか「生徒会の一存」あたりですね。もしかしたら「化物語」も含まれるかもしれません。
 僕は普段全くラノベを読まないのですが、少し気になって「僕は友達が少ない」の1巻を購入しました。たしかによく出来ています。面白いですし、何より突き抜けている感覚がある(あとブリキ絵の精神病んでそうな目つきが好きです)。人気になるのも頷けますが、やっぱりこれはハーレムものです。小鷹という少年の周りにかわいい女の子たちが集まってくる話です。その上で「愉快な日常」を描いている。


 きらら系作品は、男キャラが出てこないほうが多いです。
 例えばアニメになった作品だけ見ても「ひだまりスケッチ」「かなめも」「けいおん!」「GA」「キルミーベイベー」「ゆゆ式」「きんいろモザイク」「桜Trick」「ご注文はうさぎですか?」など、全て女性キャラしか(ほぼ)登場しません。明確な例外は「ドージンワーク」と「あっちこっち」のみです(「夢喰いメリー」もそうですが、あれは原作が非4コマでなので事情が少し違います)。
 また、この傾向はきらら系以外にも派生していて、「のんのんびより」のヒットなどは記憶に新しいところです。
 これはもう一つの大きな流れになっていると僕は感じていて、だから流行に敏感なライトノベル界隈でもそういった作品がすでにわんさか生まれているに違いないと思い込んでいました。
 でも、ない。
 僕の見るかぎり、どうやらそんなものは存在していないようなのです。(単に僕が知らないだけという可能性も高いので、あるなら誰か教えてください)


 僕は「これはひょっとしてチャンスなんじゃないか」と考えました。
 ラノベに日常系が存在しないのならば、自分が書いてしまえば良いではないか。完成すれば、きっと話題になるに違いない。
 言い忘れてましたが、僕は小説を書くのが趣味でして、電撃大賞に投稿したりネットにアップしてたりします。
 で、書きました。
 書けませんでした。
 客観的にも、主観的にすら面白いものにはならず、途中であきらめて筆を折りました。
 これはもちろん僕の実力不足でもあるんですが、しかしその経験を経て、僕は漫画と小説の間に横たわる、深い深い溝というものに気づいたのでした。
 いったいそれは何なのか?


 まあ、答えは単純なんですが。
 漫画と小説では、視点の扱いかたが根本的に異なる。
 これが、ラノベにきらら的日常系が存在しない理由です。


 漫画というものは、神の見た光景を描くメディアです。
 神という言葉が不適切ならば、カメラと置き換えてもかまいません。要は物語に登場しない第三者的視点から切り取った場面のみで構成されているということです。いわゆる「神の視点」と呼ばれるものです。
 そのため、基本的に語り手というもの自体が存在せず、全登場人物をフラットな視点から眺めることが可能です。だから複数のキャラの心情を同一シーンで描いてしまっても不自然さが生まれません。これは漫画ならではの稀有な特徴と言えます。


 対して小説というものは、ある個人の見た光景を描くメディアです。
 小説においては明確な語り手が存在します。それは三人称の作品であってもです。基本的に一つのシーンごとに一人の人物に同化し、彼/彼女の視点を基準に物語が描かれていきます。「複数のキャラの心情を同一シーンで描く」ということは、小説ではタブーとされることが多いです。
 この特性から、小説は人間の感情を深く描くことに適していると言われています。小説ほどの文字量は当然他のメディアでは扱えませんから、この点に大きなアドバンテージがあります。


 さて、きらら的日常系の特徴とは、いったい何でしょうか。
 それは女の子のかわいさです。
 女の子同士のきゃっきゃうふふです。
 何も起こらない愉快な日常です。
 それらを楽しむとき、僕たちは一人の傍観者となります。それは望んでそうなっているのです。決して、かわいらしい彼女たちのかわいらしい会話に混ざりたいわけではないのです。そんなことをしたら、あの美しい空間はぶち壊しです。
 しかし小説というメディアは、その原理上、登場キャラの一人に憑依しなければなりません。
 自分がゆのに乗り移る? 澪に乗り移る? 縁に乗り移る?
 そんな、とても、とても、とても。
 でも小鷹に乗り移りたい人はきっとたくさんいるでしょう。
 つまりは、そういうことです。


 それでもワンチャンあると思うんだよなあ、ラノベできらら系。
 誰か挑戦してください。誰もやらないようなら、もう一度僕が頑張らねばならなくなります。