小説論のフリした自分語り、でも、だからこその小説論 森博嗣「小説家という職業」
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/06/17
- メディア: 新書
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4章までは、過去のエッセイでも散見されるような、「小説をビジネスとして売る」という視点からの思考が丹念に綴られている。近年の、ネット登場による世界の変貌、そして出版業界や小説家の展望についてもかなり紙面を割いて触れられている。
いろいろと興味深い点は多く、例えば<ネットの登場で初めて人の悪口を大量に読めるようになった>という話は目から鱗だった。そこにこそ人間の本当があり、小説のように面白いといった、世間を皮肉るような逆説は森博嗣らしい。
でも本書の本当のキモは最後の第5章だと思う。これまで「小説執筆はあくまでビジネスであり、金を稼ぐためにやっている」というスタンスを貫いていた森博嗣が、この章でついに「小説とは何か」というテーマに切り込んでいく。
この章を読んで、僕は森博嗣の心のコアに少しだけ触れたような気がした。これまで、彼の思考・アルゴリズムについては散々読んできていたけれど、その更に奥、「彼はどういう人間なのか」という部分に到達できた機会は、ほとんどなかったように思う。
(余談だけれど、小説だと「スカイ・クロラ」がまさしくそういうパーソナル性の高い作品だった。ある時期から森博嗣は読まなくなってしまった僕だけれど、初期30作くらいの中では「スカイ・クロラ」がやっぱり一番好きだ)
そして最後に書かれた、なんだかやけに感傷的なあとがき。森博嗣がここまで直接的に自分のことを書いた文章って、ちょっと記憶にない。小説論のフリして森博嗣個人を書いた本書だけれど、「だからこそ本書は小説論たりえるのだ」と宣言しているように僕は思えた。もちろん、誤読かもしれないけれど、その自由が読者には与えられている。