高橋しん『最終兵器彼女 (1)〜(7)』

最終兵器彼女 (1) (ビッグコミックス)

最終兵器彼女 (1) (ビッグコミックス)

 ちせはかわいい。だが、のろい。チビだし気が弱い。おまけにドジっ子で成績も中の下。世界史だけが得意。口癖は「ごめんなさい」。座右の銘は「強くなりたい」。
 ぼくたちは、恋していく。

 あんなこと言った舌の根も乾かぬうちにまた出してしまった。だがこれはもうしかたがない。僕が、20歳になりたてのこの時期に、この漫画を読んで、★6つをつけたという事実を、ここに残しておきたいのだ。


 高橋しんはテキストをとても大事に扱っているな、と感じる。まずひとつに、考え抜かれた言葉が選ばれている。独特に積み重ねられるセリフやモノローグは、そのまま小説にしてもおかしくないほどに文章として完成されている。全七巻のこの物語の中に、強く印象に残る文章がどれだけ登場したことか。この点だけでも驚嘆に値するのに、さらに高橋しんはその一歩先を行く。それだけ練られた言葉を、漫画の中の絵のひとつとして的確に扱っているのだ。例えば、真っ暗な見開きの画面に白抜きのモノローグだけがいくつか置かれているシーン。ここでのテキストの配置場所ひとつを取っても、神経が行き届いていることが手に取るようにわかる。それほどに絶妙な配置である。
 このことは、この作品の成立に大きく、あるいは小さく関わっていると思う。この作品の中心となるのはちせとシュウジという二人の主人公の心情だ。普通、心情を前面に押し出し直接的に書き綴る作品は一歩間違えば見るに耐えない代物へと堕す。しかし本作品では、上記の手法(や、もちろんその他様々な技法)をフルに活用することで、心理描写の連続を押し付けがましくない、自然なものとして読者に受け入れさせることに成功している。もちろん、それ以前の問題としてそもそも描かれる心情、特にシュウジの心情がとんでもなくリアルである(ように読める)ことは最大の要因であるだろう。


 いいですか? そろそろ真面目な話は終わりにしていいですか?


 もうねもうね、ちせもシュウジも愛しくてたまらないのですよ! 特にシュウジ。こいつは俺だ俺の分身だ、なんて勘違いするくらいに感情移入してしまうのですよ! 重要な場面で逃げ出してしまうのも、俺は何も出来ないんだと悩むのも、痛いくらいに良くわかるのですよ! 例えそれが錯覚に違いないとしても。錯覚だって良いのです。そもそも恋愛感情からして錯覚なのだから。恋愛したことなんて一度だってないけどさ。
「ちせはかわいい」。ああ、そうだよかわいいさ!
 あー、恋がしてえ。
 ちなみに一番キたのはアケミの例の一連のシーン(読んだ人ならわかってくれると思いたい)。アケミは本当に良い子です。


 読んでいる間、やっぱりというかなんというか『イリヤの空 UFOの夏』とダブってしょうがなかったです。『サイカノ』のほうが時期的に早いのは重々承知していますが。『イリヤ』が大丈夫だった話とするなら、『サイカノ』はダメだった話ということになるのでしょう(僕が、ということではないですよ)。
 結論としては、僕はセカイ系には弱いようだと、それでOKですか?(全然OKじゃない)