桜庭一樹『ブルースカイ』

ブルースカイ (ハヤカワ文庫 JA)

ブルースカイ (ハヤカワ文庫 JA)

 1627年ドイツ、魔女狩りの嵐が吹き荒れる町で10歳の幼女マリーに起こった奇跡。2022年シンガポール、ゴシック世界にあこがれる青年ディッキーの体験する奇妙な一時。そして2007年日本、「あたし」の最後の三日間。少女という概念をめぐる3つの箱庭。


 帯の「少女という概念をめぐる3つの箱庭の物語」という文句は見事に的確で、そのとおりこの小説は徹頭徹尾「少女」とは何かを語るために作られています。逆に言えば、それを意識しなければこの小説を完全に理解するのは難しいでしょう。だからこそわざわざ帯やあらすじに明記したのだろうと思います。
 今現在「少女」である人、昔「少女」であった人(≠大人の女性)、その他「少女」に少しでも興味を持つ人は必読。そうでない人も普通に面白く読める小説なので読みましょう読みましょう。


 以下ネタバレ全開。



 この小説のすごさは、「少女」の不安定さを世界の構造と絡めて描いた所にあると思います。そんなことはSFにしかできず(少なくとも一番適した形態がSFでしょう)、その点でとてもSFらしいSFとも言えます。
 思春期ど真ん中の「少女」の、ふわふわとして定まらない思考、精神的あやふやさ、極端な喜怒哀楽、そして強く欲する他人との繋がり。それは大人でも子供でもなく、かつ女性であるが故の特徴ですが、だからこそ「少女」は、他の人々が縛られてしまう世界の「システム」から自由になれる。そのことを「時空を不安定にあちこち飛び回る」というSF的具体性で描くことにより、読者にはっきりと示したのがこの小説です。
 また、本作品の「少女」に対する定義は非常に一貫していて、「少女」でない人物、例えば「大人/子供」の二分しかなかった時代に生きる幼女マリーや、すでに大人になってしまったチャムなどは、一回たりとも「少女」と呼ばれることはありません。逆にソラや2章のAIの呼称は必ず「少女」です(そうかんがえるとあらすじの「10歳の少女マリー」という記述は誤りですね)。そのことからもわかりますが、1・2章の存在意義は「少女」と「少女でないもの」を対比することにより「少女」の定義を明確にすることでしょう。
 まあ、1章が長くて3章が短いバランスの悪さとか(どちらかといえば逆にするべきでしょう)、物語自体が没頭するほどではないなど、不満点もあるにはあるのですが、あんまり気にはなりません。
 とにかく何から何まで「少女」のための小説。こんなの桜庭一樹しか書かないです。


 それにしてもこのタイトルと表紙は最高ですね。