「ICO」の革命性

 17日の日記について楽志さんにつっこまれてしまう。うーん。本筋に関係ないから簡潔に書いた部分なのですが、書きながら自分でも「?」となっていたのは事実です。自分が言いたいことを書けてないなあと感じていました。せっかくなので一生懸命語ってみます。


 アクションなどを含めたゲーム全体の話をするとややこしくなりそうなので、とりあえずこの場では特に“物語”をプレイヤーに体験させることを目的とする(特に最近の)アドベンチャーやRPGを問題にしたいと思います。

 普通のゲームは基本的に「ストップアンドゴー」の作りになっているのではないかと思います。言い換えれば物語が断続的に進行するということです。例えばRPGなどではアイテムを手に入れたり、ボスを倒したりする「イベント」の連なりによって一つの物語が作られるわけですが、その「イベント」をこなしている間は物語は進行していない。何かを成した“結果”初めて物語が進行するわけで、そうやってプレイヤーの「物語の続きが見たい欲求」を小まめにくすぐることによって面白さを持続させています。もちろんこれだけが面白さの理由ではないとは思いますが、この手法を使用していないゲームは特に近年では稀です。

 対して「ICO」ではその手法をばっさり切り捨てています。必要最小限のストーリーラインは存在しますが、作中ではその細部までは語られず、また物語の動きも終盤にいたるまでほとんどありません。あるのは様々な仕掛けを内包した城と、そこから逃げ出そうとする主人公、そして主人公に手を取られながら一緒に逃げるヒロインのみです(メインボスは1人いますが)。敵は出てきますが城の仕掛けの一部と言ったほうが良く、種類も2,3ほどしかいません。そもそもなぜ逃げ出そうとするのか、その明確な理由すらほとんどないのです。主人公たちはただ脱出するだけ。

 そうやって物語を排する代わりに「ICO」ではリアリティを追求します。舞台となる城は実際に存在するかのように作りこまれていて、上の階から下を除けば昔通った部屋や庭が小さくかすんで見えます(これはかなり珍しいことです)。BGMは必要最小限に抑えられ、代わりに鳥のさえずりや波の音が聞こえてきます。ある程度以上の高さから落ちれば死んでしまいます。崖から落ちてしまえば遥か彼方の海にさざ波が立ちます。それがはっきりと見えるのです。主人公もヒロインも現実には存在しない、しかも別々の言語を用いて会話します(もちろん通じません)。はぐれてしまった時は叫んで呼び戻し、疲れたときは所々にあるソファーで休息(つまりこれがセーブポイントです)。そして極めつけがヒロインと手をつないだ時のコントローラーの振動。ゆっくり歩いている時は小さく、走っている時は激しく振動し、まるで本当に手を繋いでいるかのようです。

 そうやって「異世界としてのリアル」を追求した結果、ただヒロインと城の中を進むだけの“過程”にすら物語性が生まれます。プレイ時間の大半を占めるアスレチック的な冒険それ自身が物語になっているのです。結果、作中で直接語られる物語の短さにも関わらず、プレイヤーはクリア後上質の長編小説を読み終えたかのような満足感を得ることが出来るのです。

 こういった構造の作品はこれ以外に見たことがなく、そこを僕は「革命的」と評したのですが、どうでしょうか楽志さん、答えになっていますでしょうか。