公開

 昨日の日記で話題にしたメールを公開してくれという声が多数寄せられました。うーんただ身勝手な考えをぐだりと述べた、一般公開を考えていないメールだったので公開するといろいろ問題とかありそうなのですが、読みたい人がいらっしゃるというのはとてもありがたいことでもあるので、一部抜粋かつ改変して公開したいと思います。あと峯岸さんには(なんというか自分でもよくわからないのだけれど)申し訳ない気持ちでいっぱいなので誤ります。申し訳ありません。

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 あの掲示板、というかコンテストそのものについてもそうですが(「はじめに」の項目1も結構酷い)、「コンテストにおける(そして往々にして世間一般における)SSの定義」=「星新一のSSの定義」と誤解しているのが問題(というほどのことかわかりませんが)なんだと思います。そもそも「世間一般におけるSSの定義」自体はっきりしたものではないのですが、大半の人間はSSを①掌編あるいはそれ以下の長さで②読者をあっと言わせるオチがある、というものだと思っているのでしょう。でもそれは星新一の目指した方向性とは異なります。
 星新一の「SSにはオチが無くとも良い」という考えは彼の様々な著作で見かけることが出来る(と思う)のですが、わかりやすいものとしては「ショートショートの広場」という、星新一が選者となったSSコンテストをまとめたシリーズがあります。これの1巻の<83年度>における最優秀賞「“海”」というSSが、雰囲気重視でオチもなく静かに始まり静かに終わるという、非常に「超短編」らしい傑作です。他のアイデア重視の作品を差し置いてこれを最優秀賞に選ぶということが、星新一がどのような考えでSSを書いていたのかを雄弁に語っていると思われます。掲載された選評にかなりはっきりと書かれてもいます。
 ちなみにこの本、さりげなく太田忠志、井上雅彦、斉藤肇といった名前が見られたりします。井上雅彦のSS「よけいなものが」は結構有名かもしれません。

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 まあこれだけなんですけどね。別にオチありSSがいけないだとかそういうことでは全然なくて、ただ某コンテストの参加者(含む主催者)の多くが星新一に対して誤解をしていて、それに気づいてもいないということを指摘しただけの文章です。だから批判とかしているわけではないですよー(保険)。

 まあ参加者に限らずこの誤解はかなりの人がしてしまっているものかと思われます。「おーい、でてこーい」とか「ボッコちゃん」の印象が強すぎるのかなあ。

 ちなみに僕が初めて読んだ星新一の本は「未来イソップ」でした。中1くらいの時です。皮肉の効いた傑作で、衝撃を受けた僕はそこからずぶずぶと星新一にはまっていったのでした。