回廊第五号感想その1

 とりあえず特集小説2編読みました(片方は前に読んでましたが)。感想、いきます。結構酷いこと書いてます。明日会うのに。それが俺。面と向かっては絶対に言えない。それが俺。


 『恋敵の赤い眼鏡と最良の選択肢』キセン

 この作品たぶん評判良いだろうから、あえて厳しめに書きます。

 まず原稿用紙55枚を一気に読ませてしまう語り口の上手さを評価したいです。本人は大真面目なんだけれどどことなくとんちんかんで、読者にしっかり「ああこの娘はちょっと変わってるんだな」と思わせる一人称の文章はこなれていて上手いです。

 けれどこの小説、何にも心に残るものがありません。読み終わって1日もすれば内容も大体忘れてしまってます。正直今の僕もあんまり覚えてません。それはそれで読んでいる間が圧倒的に楽しければ全然問題ないのですが、その領域には残念ながら達していません。

 原因は簡単で、一言で言えば内容が薄いのですね。あっという間に読めるのは、よく言えばリーダビリティが高いということになるけれど、結局中身が55枚の分量に見合ってないだけでしょう。榎本神楽についての話がほとんどなく、ただの(話にとって)都合のいいコマに成り下がっているあたりがそれを端的に表しています。もっとエピソードをガンガンぶち込んで濃縮するか、もしくはいっそ長編にしてしまうべきだったのではと思います。

 最近貴子潤一郎の『眠り姫』という短編を読んでとても感銘を受けたのですが、たったの35枚で長編作品を読んだかのような深い深い感動が味わえる作品でした。このレベルまで行けとは言わないけれど。がんばれキセンさん。


 『人生で最も幸福な一日』霧生康平

 悪い作品ではないと思うんだけれど、正直乗り切れませんでした。

 何でだろうと考えてみたのですが、どうも中盤の一人称の部分がまずかったのではないかと。主人公が看護婦に向かって語る場面なのですが、文章が小説小説していて、誰かに語っているようには全然読めません。このせいで違和感が生まれてしまい読者、少なくとも僕は物語に入り込むことが出来ませんでした。これはちょっと致命傷じゃないかと思います。物語云々以前の問題なわけですから。

 中身も些細な事で引っかかってしまいます。いじめのシーンが出てきますが、(いじめに対する定義の違いもあるのでしょうが)少なくとも僕の定義ではいじめは“集団で”行うものであり、一人だけで行っている嫌がらせをいじめと呼んで良いものでしょうか。サングラスを取るシーンでは事前に主人公が眼球を抉っていることを知っているはずの看護婦が「驚きすぎた」のはちょっと奇妙です。

 そして何より重大なのは、眼球を抉らねばならない状況にまで追い込まれた彼女の心理状況がまるで理解できないことです。眼球を抉るというのは相当すさまじい状況なわけで、読者が「これなら眼球を抉らなければならなかったのも理解できる」と感じるくらいには、主人公の追い詰められた心の状態を提示するべきだったと思います。端的に言えば抉るまでが早すぎます。もっともっと切羽詰らないと。眼球を抉るという行為のインパクトに内容が追いついていないのです。

 対して三人称視点の部分はかなり好感触でした。文章は淡々としていますが素朴で読みやすいです。さらに、この(間に語りを挟む)形式にしたからには「外」の部分、すなわち三人称部分で何か大きな動きがなければなりませんが、そこら辺の処理は見事だったと思います。

 現状よりさらに深い場所まで到達することの出来る可能性を秘めた作品だと思います。がんばれ霧生さん。